2012年3月4日日曜日

長距離への考察

私がはじめて大会で走ったのは2010年の10月、10kmでした。
でもその時は完走こそすれ、なんの感慨もなく、あー疲れた、と思っただけでした。
そこから9ヶ月後ハーフを走り、そこから3ヶ月後にフルを走りました。
そして今度はその5ヶ月後に100kmを走ろうとしています。

走り始めて1年5ヶ月ほどが経とうとしています。

今日は久しぶりに仲間も連れ立っての大会だったわけですが、そんな私が100kmにエントリーしたのが皆、不思議でしょうがないようです。
で、やはり聞かれるのが「なんで100km走ろうと思ったの?」です。

そう聞かれると私もなんでだっけ?と思い返すのですが、覚えているのは、ある日、エントリーした大会を距離ごとにまとめていた時の事。
10km/21km(ハーフ)/42.195kmの3つのカテゴリーしかなかったんです。
私のランニング人生これだけか?と思ったんです。
もっと幅を広げたいという事だったんだと思いますが、その時はまだフルマラソンの完走すらしていないのに、その勢いで100kmのエントリーをしたのでした。

そのいきさつを話しても「う〜ん」という返事があるだけなのですが。
何度かフルマラソンを完走している方たちですが、100kmには思い至らないようです。

もう少し走る事について考えてみると、
走っている間は実にさまざまな事を考えています。
コースやタイムの事もそうですが、今まで自分に起こった出来事や、整理のつかない思いも、脳がバチバチと回転してどうにか折り合いを付けていくのがわかります。
で、2時間ほど走っていると、脳もその仕事をおおかた終わらせてしまいます。
すると、ぽっかーんと頭が軽くなります。
すると、自分をただの動く肉のかたまりのように感じます。
それはハーフ以上の長距離を走らなければ味わう事のない感覚で、なにがしかの快楽物質が出ているのではないかと思われます。

4時間も走れば、自分の中に解決できていない事はほとんど残っていません。
もし、それでも未解決の何かがあるのだとしたら、それはもう「未解決」という結果で、「解決をあきらめる」のが答えなんだと思いました。
それはそれで、どうにか折り合いがついたという事です。

私にとって走るとは、机を片付けてきれいにする事に似た作業なのかもしれません。

そういった所で、さっきから金太郎が背後でなにかやっているのが気になって振り返ったら、トイレのスリッパを3枚おろしにしていました。
こんちきしょうめ。

そんなわけで、今日も一日元気に生きる事ができました。
感謝。